Archive for July 2007

26 July

「写真」に題名や

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キャプションなどつけるのは、もはや全く意味のないことなのかもしれない。

だって、誰も「サン=ラザール駅裏」なんて言わないもん。「水たまりぴょん」だもん(笑)。


そーなると、例えば「写真展名」とか「写真集名」とかはどーなんだろ。
極端に言えば、鑑賞者へのちょっとした「手助け」「情報開示」「サービス」といったところか?


15:57:04 | nokuto | No comments | TrackBacks

16 July

写真は「世界」に対する

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「知覚」のある一種と捉えてかまわんと思うが、
この場合、ひらたく考えれば、
「世界=被写体」「知覚=写真家」であろう。

が、そうは問屋が卸さない。
なぜなら「知覚=写真家」さえも単に「世界」の一部に過ぎない。
つまり二元的なあるいは対立的な考えで、「撮る」「撮られる」といった一方向的なラインは、実はとてもあやふやなものではないのか。
(写真家のポートレートもありうるとか言ってるんじゃありませんよ、もちろん(笑)。)


つまり「撮る」のではなく「世界に撮らされている」といった部分も多分にあるのではないか。

などと、「痕跡の理論」大嶋浩 夏目書房を読んでちょいと思う。この本おもろいな。


23:49:56 | nokuto | No comments | TrackBacks

11 July

尾仲氏より、

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ギャラリーオープンのメールを頂く。

3畳、金土日の3日間で、5000円って安いよなぁー。


08:13:45 | nokuto | No comments | TrackBacks

09 July

市場としての銀塩は、

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多少、「団塊の世代」と呼ばれている人々の肩にかかってる部分もあるんでねーの。

というのも、先日久々に薬品を買いにアキバのヨドバシに行ったら、意外と「三脚コーナー」とかが盛り上がってるんですよ。
あきらかにその世代の人達がわんさか。

なるほど、時間も金もあるし、「写真を本格的に」と。若いころは自分で焼いたりしてた人も、聞くところによると結構多いようだし。

さて、三脚の上に乗るのは、デジかな銀かな。

22:34:15 | nokuto | 2 comments | TrackBacks

03 July

多くの写真が、

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大なり小なり、ある意味「死」を連想させる。
ある時はストレートに、ある時は静かにそっと。
(おれだけ? )


それは、仮に「死」と「生」は、対極的なものではなく、
「生」は、いわば「死」の道程だと考え、
「生」も実は「ゆるやかな死」である、
みたいに考えてみれば、
確かに写真は、ある意味「ゆるやかな死」の記録である、
というようにも言えるからか?

わからんが。



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